俳優として常に時代のトップランナーだった仲代達矢が、いよいよその俳優人生のラストランに入った。
その仲代達矢が運命の出会いとも言うべき一つの作品と出会った。
彼はその出会いをこのように語った。
舌を巻いた! あまりの面白さに!
最初の一行を目にした。気が付くと最後の一行にいた。
短い時間の間にとてつもない高みにいた。
目眩がした。体が熱かった。
本を読んで、そう感じることなど、そうあることではない。
裸一貫でたたき上げ、我儘に一生自分の夢を追い続けた男の物語である。
そのことが自分自身も、周りのすべての人間をもどんどんと不幸にしていく。
でも人生を途中でやめるわけにはいかない。
追い込まれれば、追い込まれるほど、その男は、強く激しく夢を見る。
この男のように夢を見ながら死んでいければなと思った。
ふと、グランドフィナーレという言葉が浮かんだ。
ジョン・ガブリエルと呼ばれた男の運命に、自らを投げ込んで、
その中で燃え尽きることが出来れば、どんなに幸せだろう。
生きた人間として、作品の中に存在したい。
それが出来て、演劇はエンターティメント以上のものになる。
この歳になって、まだそんな夢を追いかけている。
仲代達矢
雪と氷におおわれた荒野の冬の嵐の中にぽつんと一軒の家が建っている。
向こうにはそそり立つ崖があり、一方には山が重なり、一方には白い波が立ち、千切れた雲が飛んでいる。
かつて国中の人間から、ジョン・ガブリエルと仰ぎみられた男が、その氷の牢獄に閉じ込められている。
憎しみをたぎらせた妻とたった二人で。
彼は、天上から一瞬のうちに奈落の底へと落ちてしまったのだ。
その牢獄に一人の男が閉じ込めてみようと思う。
俳優、仲代達矢。
人間は夢を見る生き物である。
夢、なんて厄介なものなんだろうか。
気がつくと、その夢はいつのまにか悪夢となり、脱出不可能な袋小路へと人間を追い込んでいる。
その絶望的な最悪の状況の中で、夢見ることを諦めない男を、仲代達矢に生きて貰おう。
その男は、追い込まれれば追い込まれるほど、むしろより強く、より激しく夢を見る。
仲代達矢は、この舞台を、「自分の俳優生活のグランドフィナーレのつもりで」と言った。
演劇とは心の風景を体験する場所である。
仲代達矢という人生を、舞台に上げたい。
演劇とはエンターティメント以上のものであるべきだ。
そんな舞台を目指したい。
「ジョン・ガブリエル・ボルクマン」はイプセンの最後から二番目の作品で、
おそらくイプセンの最高傑作である。
イプセンはこの作品で長年追及していたものを手に入れたといえるのではないだろうか。
つまりギリシャ悲劇や、シェイクスピアが到達した、真空の場所に立つ。
この芝居は、一人の男の愛を争った老年の双子の姉妹の話でもある。
二人の中では憎しみが沸点に達している。
それがこの芝居の幕開きである。
これほど、見事な幕開きに芝居は他にはない。
ストリンドベリは「クライマックスにたどり着くまで、三幕まで観客は待たされるのはたまらない。
何とかクライマックスから始まる芝居が出来ないものか」と語っているが、
そのストリンドベリの言葉をイプセンはまさに、この芝居で実践しているのだ。
演技ではなく、生な感情をむき出しにしている二人の女・・・
イプセンはそれを俳優に求めている。
役が人生がいつのまにか、俳優自身の人生に振り替わっている。
その二人は、十朱幸代と大空眞弓である。
役の中でこそ、自らの素肌を晒す。
それがイプセンの求めている演劇なのだ。
二幕の始まりでは、今度は二人の男が対峙している。
際立って、違った人生を生きた二人の男が、嵐の海に投げ出され、ボートで漂っている。
その二人とは、仲代達矢と米倉斉加年である。
二人は一体、どんな会話を交わすのだろうか。
役の人物としてだけではない、二人はこれまで生きて来た人生を通しての会話を交わすのだ。
イプセンのすごさは、つまりそういうことを俳優に求めている。
続いて、仲代達矢と十朱幸代の対決。
愛を捨て、愛を裏切った男を、十朱幸代はどう問い詰め、どう追い詰めるのか。
続いて、仲代達矢と大空眞弓、憎しみの限りを持って、夫の迫る妻。
つまり、この舞台はバトルなのだ。
仲代達矢、十朱幸代、大空眞弓、米倉斉加年、その四つの人生のバトルがこの舞台なのだ。
俳優は舞台に登場し、そして退場する。
亡霊は、ハムレットに言った。
「復讐しろ、しかし心は穢すな」と。
生きることは罪を犯すことだ。
しかし、心を穢さずに人生を終えることが出来るのか。
それがシェイクスピアが、ハムレットに与えた課題である。
俳優は舞台に上がり、演技をする。しかし、一つの嘘もつくことなく幕を迎えることが出来るのか?
この芝居に登場する四人の人間は、その心に照らして、一つも嘘をついてはいない。
この芝居のどの瞬間もスリリングなのは、誰もがむき出しの感情で、真実を生きているからだ。
だからそれを演じる俳優も同様でなくてはいけないのだ。
イプセンが求めているもっとも重要なことは、そのことである。
舞台には生きた人間がいる。
その人間が事件を作り出すのだ。
事件を成立させるために、俳優がいるのではないのだ。
人間の心にあることが、現実を作り出していく。
イプセンが目指した演劇とは、そういうことである。
イプセンには演劇に必要なものがすべてある。
観客にとって。
観客が見たいもののすべてが、イプセンにはある。
スリルが、サスペンスが、興奮が、感動が、笑いと涙が・・・
すべては人間が作り出すものである。
嘘のない試合しか、感動を呼ばない。
最高のプレイヤーによる、最高の試合、今回の舞台はそれを目指したい。
作:イプセン 上演台本:笹部博司 発売/星雲社
販売/有名書店
又は当ホームページ内オンラインショップ