宋美麗が百五歳の誕生日を迎えたビデオが残っている。
小柄だが凛としていて、容貌の衰えがいささかも認められない。
車いすに座っていて、柔和な顔つきながら、目は厳しく、他を圧している。
頭脳の回転は、一時も休まないという感じで、人間が百歳を超えても、これだけ自らも、他者をも支配していられるというのが驚きである。
長生きの秘訣を彼女はこう答える。
「毎朝六時に起き、聖書と新聞を読む。とにかく規則正しい生活が大事です。時々人が訪ねてきても、決して政治の話はせず、当たり障りのない世間話をして早々に退散してもらう」
彼女はどんな瞬間にも自分を投げ出さず、強い意志の力で、自分の最善を選び取った。
そして人生の最期の瞬間まで、その流儀は崩さなかった。
気が遠くなるほど長い辛い行程を経て、中国を抜け出し、モスクワに着くが、ロシアはすでにスターリンが権力を握り、慶齢はそこでも居場所をなくす。そこで親友であるアメリカ人ジャーナリストの親友のライナをなくす。その葬儀の模様をライナの恋人で、慶齢の信奉者であるシーアンはこのように記している。
「私たちは火葬場までの道を何時間もかけて歩いた。とても寒い日だった。歩きながら、私は寒さに身を縮ませている孫夫人の姿に気がついた。中国からの収入もたたれていたのに、どうしても他人からの援助を受ける気にならずにいた彼女は、冬用の衣類をまったく持っていなかった。荒涼とした凍てついた道を彼女は薄い上着だけで歩いていた。ソビエトの外交部が彼女のために提供した車が葬列の後ろに続いていた。少なくとも車の中は暖かいはずだ。私は車に乗るように勧めたが、彼女は拒み、美しい顔を腕で覆うようにしてうつむいたまま、モスクワの街を一歩一歩進んで行った。彼女自身病み上がりで、ひどく顔色が悪かった。あの日、すべてのものが冷たい霧にかすんでいたが、宋慶齢ほど孤独な亡命者は他にいなかった」
この文章の中から垣間見えてくるのは、宋慶齢の強烈な意志である。
そしてその宋慶齢の姿に、百五歳の宋美齢の姿が重なる。
宋靄齢にいたっては、まだ十代でアメリカ大統領に噛みつくほどの、強烈な自我をもっていた。
これはそんな三姉妹の物語である。
わたしは何よりもこの三人の強い絆に惹かれた。
三人は何も信じず、姉妹の絶対的な意志を信じた。
つまり自分と同じだけの意志を持つ、姉と妹を信じたのだ。
この三人、いわば一卵性の三姉妹である。
一人の男が成し遂げたかった夢が、三人の娘に受け継がれる。
中国はかつてない激動の時代を迎えていた。
多くの人は、その激動に飲み込まれ、藻屑と消えて行った。
しかし、三人は強烈な意志で、その激動を乗り切っていく。
一人はお金を愛し、
一人は権力を愛し、
一人は中国を愛し、
一人の男は金を愛し、権力を愛し、中国を愛した。実に見事に、その一人の男のないまぜの内面は、三人の娘という姿を借り、歴史のいう舞台の中で具現化していく。
この作品の発端は、ウー・ルーチンである。
彼を中心としたコンサートの構成と演出を手伝う機会があった。
それを機にして、交流が出来た。
ルーチンは、「宋家の三姉妹」を舞台化したいのだと言った。
それが自分に関係があるとはどうしても思えなかった。
ルーチンは、「宋家の三姉妹」を舞台化するに当たって、なぜかその梃子として私を選んだ。それが正しいか間違っているかはわからない。
中国人というのは、つまりそうやって自分の願望を実現していくのだ。
わたしは、ルーチンの手となった。
勿論、興味を覚えないとやらない。
ある時、これはやらないといけないのだと思った。
それで始めた。
まず、いろんな文献を読む。
NHKがスペシャル番組を作った際、その番組のチーフ・プロデューサーである伊藤純氏が、「宋姉妹」という本を記している。
岩波ホールで、「宋家の三姉妹」という映画が上映された大ヒットした。
そのビデオを見た。
サイマル出版から出ているスターリング・シーグレープ著の「宋王朝」は、ある意味暴露的な視点で書かれたものだが、生な三姉妹が見えて興味深かった。
同じくサイマル出版から出ているイスラエル・エプスタイン著の「宋慶齢」は参考になった。
この台本は、その三冊の本と、その一本の映画に負っている。
その他にもいろいろと。
大耳の杜の娘が書いた本。
蒋介石に捨てられた妻が書いた本。
美齢のナイトになったシェンノートについての本。
以前読んだエドカー・スノーの「中国の赤い星」も読み返した。
中国の近現代史についてのいくつかの本。
周恩来伝。文化大革命についての本。西安事件についての本などなど。
正直、研究するとか勉強するとかという気持ちはさらさらなく、興味の赴くまま、読み散らした。
そして記憶に残ったことをベースに書き始めた。
例えば、こういうことが興味をひいた。
靄齢が死んだ後、アメリカにいる美麗と中国にいる慶齢が、何とかお互いを自分の元に呼び寄せたいと思っていたこと。
慶齢が死んだ時、美齢はその葬儀に出席するため飛行機の予約をしたが、実際には彼女は自分の生まれ故郷である中国へ、足を踏み入れることはなかった。
慶齢は、孫文の墓に入らず、宋家の墓に入る。
子供の頃仲良しだった三姉妹は終生、その愛情をとぎらせることはなかった。
三人はお互い、役割分担を決めて、あの激動の時代を生きたのだ。
そう思った。
それにしても何という見事な役割分担なのだろうか。
そしてたまたま手に入った美齢百五歳の誕生日のビデオ。
色つやもよく、キラキラ光る目、背筋をすっと伸ばし、一分の隙もないあの人間離れした矍鑠とした姿。
たとえ世界を支配することが出来た人間がいたとしても、それはほんの一瞬のことである。人間に大事なのは自分を支配することであり、自分の主人であることである。
百五歳の美齢は、威厳に満ちていて、間違いなく自分の主人だった。
いろんなことがあったとしても、彼女は素晴らしい人生を生きた。
彼女は人生の勝者である。
それを舞台に載せたいと思った。
一人一人が、率直に、わき目もふらず、振り返らず、足を止めず、周りをなぎ倒して、生き抜いた。
その強烈な意志は、ギリシャ劇のヒロインを思わせた。
この三人は神につながっている。
演劇とは生な人間の生な感情を舞台の上に載せることだと思っている。
この三人には、生な声が満ち溢れている。
それが楽しかった。
そして、日本人にはないスケールがある。
それが楽しかった。
殆ど漫画的といってもいい三人の際立った個性。
その三人が、三人三様に歴史という舞台の中を駆け抜けていく。
一人の人間は一つの人生しか生きることが出来ない。
しかしこの三人は、常にお互いを共有し合って生きていた。
一卵性の三姉妹は、わたしたちに強烈なインパクトを与えるだろう。